【太平洋戦争末期】人間爆弾と呼ばれ「特攻兵器」にされた若者たち。
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彼らの任務は、まさに自らの生命を捧げ、自身を爆弾として使うことで、戦局を一変させようとするものだった。

それが、太平洋戦争末期に開発された「特攻兵器」である。

なぜ日本は特攻兵器を開発したのか?

なぜこの作戦を止めることができなかったのか?

今回は、決して生きて帰ることのない作戦に使用された4つの特攻兵器について解説していこう。

しまかぜ

この内容は動画でも見れるよ!

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250キロの爆薬を積んだ特攻ボート「震洋」

「特攻」と言えば、多くの人々は「神風特攻隊」や「人間魚雷」を思い浮かべるだろう。

だが、爆薬をボートに詰め込んで敵に突撃した「震洋」を知る者はそう多くはないかもしれない。

太平洋戦争が終末期に差し掛かり、戦況が不利であった時期、奇襲による戦局逆転を狙って開発されたのが、この5メートルほどのモーターボートだった。

名前の「震洋」は、太平洋を震撼させるという野望から命名された。

船首には250キロの爆薬を搭載し、これを敵艦に突撃することで一網打尽にしようという作戦だった。

船体は軽量化と大量生産を可能にするため、ベニヤ板で作られていた。

そして、この死にゆく運命の船に乗せられたのは、航空予備学生を卒業したばかりの若者たちだった。

彼らは夢見ていた戦闘機の操縦席ではなく、ベニヤ板で組み立てられたこの船の上で、未来を待っていた。

ベニヤ板で作られた船体は、戦況が悪化し物資が不足する中でも大量に生産することが可能だった。

その結果、約6000艇が生産され、本土防衛に用いられた。

しかし、米軍の飛行機に狙われた時、船のプロペラが起こす白波は露骨の目標となってしまった。

アメリカ側の記録によれば、震洋による突撃で沈められた連合軍の艦船はわずか4隻だけだった。

訓練中に船体に穴が開き沈没したり、出撃しても敵艦に辿り着けず命を落とした者が多く、戦闘の機会すら得られないまま命を落とした者も少なくなかった。

さらに、震洋隊員を含む基地隊員の死者は、合計で2500人に上った。

爆発事故や空襲により、多くの若者たちが敵艦への突撃を果たすこともなく、命を絶ったのだ。

出撃さえできず、結果として生涯を捧げることとなったこれらの特攻隊員たちの運命は、我々が決して忘れてはならない過去の一部である。

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日本初の特攻兵器 人間魚雷「回天」

日本海軍は当時、全世界に先駆けて九三(きゅうさん)式酸素魚雷を運用していた。

その高速性、長射程、そして水中に雷跡を残さない特性は、世界でも一、二を争う性能だった。

だが、この魚雷は誘導型ではなく、その命中精度には限界があった。

一方、ドイツはUボートの運用国として、酸素魚雷ではないものの音響を追尾してホーミングする誘導魚雷を早期に実用化していた。

当時の日本の技術ではそれは難しかった。

そこで日本が取り組んだのが、「回天」という人間が操縦する特攻兵器だった。

「回天」という名前には「天を回して戦局を逆転させる」という意志が込められていた。

九三式魚雷を改造して作られた「回天」は全長14.75メートル、直径1メートル。

巨大艦も一撃で沈める威力を持っていた。

開発段階では搭乗員の脱出装置の設置が条件だったが、実際の試作機にはその装置がなく、そのまま正式採用された。

「回天」は使い捨ての兵器で、一度しか使用できない。

それゆえに最低限のコストと手間で造られ、約400本以上が生産された。

これらは敵が本土上陸しようとする海岸付近に穴を掘って隠され、敵艦艇が近づいてきたときに出撃する作戦が練られた。

出撃する際、潜水艦の艦長は通常の魚雷攻撃と「回天」の特攻を選択しなければならなかった。

魚雷攻撃が可能な距離まで敵艦船に近づけるなら魚雷戦を挑み、そうでなければ回天戦を選んだ。

この任務のために4基地から9部隊が組織され、153人が出撃し、そのうち80人が「回天」とともに戦死した。

その操縦は非常に難しく、訓練中に命を落とした者も少なくなかった。

出撃時にはきれいな衣服を身を包み「死に装束」として搭乗していった若者たち。

しかし、「回天」の戦果は、タンカー、護衛駆逐艦、歩兵揚陸艇を各1隻撃沈し、輸送船3隻、護衛駆逐艦1隻に損傷を与えたに過ぎなかった。

1375人が訓練を受け、終戦までに148人が出撃した。その中で訓練中の事故を含め、145人の若者が犠牲となった。

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プロペラなし、タイヤなし人間爆弾「桜花」

「桜花」は、大型爆弾に翼と操縦席、ロケットエンジンを組み合わせ、発射されるとパイロットの生存は事実上不可能だった。

プロペラやタイヤはなく、飛行機につるされ、敵の艦船を目標に発射されることから「人間爆弾」の名がついた。

全長6メートル、全幅5メートル、という小型で軽量化された機体は、パイロット一人と翼だけで構成されていた。

推進力を供給する火薬のロケットエンジンにより、極端に空気抵抗が小さな形状で高速滑空が可能だった。

しかし、推進時間はわずか15分であり、着陸装置がなかったため、一度発射されるとパイロットは生還できない運命にあった。

「桜花」は一機で一艦を撃沈することを目的とした、日本海軍の最後の切り札だった。

この桜花は、機首に1,200kgの爆薬を搭載していたために搭載機は速度と機動性を大幅に失いうこととなった。

初回の桜花攻撃では、敵艦隊からまだ遠いところでアメリカの戦闘機の攻撃により母機が全滅し、桜花を発射することさえできなかった。

その後、アメリカ軍は沖縄で桜花を鹵獲し、その性能を調査した。

その結果、桜花が発射されると高速であるため迎撃が難しく、大きな脅威と評価したアメリカ軍は、射出前の母機となる航空機を最優先の攻撃目標とし、全軍にこれを命令した。

厳重に警戒するアメリカ軍の中で、桜花の射程は限られ、目標まで母機が接近する必要があった。

アメリカの度重なる攻撃を突破する必要があったため、桜花攻撃の成功確率は極めて低かった。

結果として、敵艦艇の外周に配備された駆逐艦を主な攻撃目標とするケースが多く、戦果は駆逐艦に集中した。

特攻兵器「桜花」の設計を担当した三木忠直は、戦後鉄道技術者となり、新幹線の開発を手がけることになった。

三木は、桜花を開発したことについて後悔していたと言われている。

桜花の戦果は、アメリカ側の記録との照合から、1隻の駆逐艦を撃沈し、3隻に大きな損傷を与えて再起不能にしたことが明らかになっている。

沖縄戦などに投入され、この特攻兵器を操縦した55人の若者が命を捧げた。

戦時中の状況の悲劇性を象徴する特攻兵器「桜花」は、人間の命の尊さと戦争の悲劇を改めて思い起こさせる存在である。

潜水服と竹竿で敵艦へ 人間機雷「伏龍」

太平洋戦争が終息を迎えるわずか三カ月前、日本の本土防衛を命じられた「伏龍特攻隊」が結成された。

伏龍は大日本帝国海軍が開発した特攻兵器で、敵の上陸部隊を阻止する目的で使用された。

その手段はほとんど「人間機雷」と呼べるものであった。

隊員となったのは、未だ幼さを残す10代の青年たちであった。

彼らが着る「伏龍」という装備は、武器としては極めて原始的なものだった。

使用される潜水具は、1945年3月末に海軍工作学校で一ヶ月間で急造されたもので、潜行時間はたったの約5時間。

呼吸を誤れば命を失う危険性をはらんだ潜水服は、言葉を失うほど雑な作りだった。

そして、彼らの手に握られた武器は、15キロの成形爆弾だった。

装備の全重量は68キロ。

若者たちはこの重さに抵抗しながら、バケツ大の機雷を携えた竹竿を海底で手に持ち、敵艦が頭上を通過する瞬間を待つ。

頭に鉄製のヘルメット、背に酸素ボンベを背負い、足に鉛製の靴を装着。

彼らの顔を覆うゴーグルのネジがきつく締められ、その瞬間、彼らは現世との別れを感じた。

舟艇が隊員の頭上を通過しない限り有効な攻撃は不可能であり、一度機雷が爆発すれば、爆圧が水を伝わり、隊員の生存は不可能だった。

また、水中では竹竿を振り回すことが困難であり、元々5メートルあったものは2メートルに短縮された。

つまり、隊員の直上2メートル以内に上陸用舟艇が偶然通過した場合以外には攻撃の機会はない。

本土決戦の構想では、最初に特攻機が米軍の機動部隊に突撃し、輸送艦が接近すると、人間魚雷「回天」や特攻艇「震洋」などの水上特攻部隊がこれを迎え撃つ。

そして、上陸用舟艇を水際で迎撃するのが「伏龍」の役目だった。

人間というのはここまで考えるのかと、改めてその恐ろしさを感じる兵器である。

このような特攻兵器は、勝つためには人の命を犠牲にする戦争の残酷さが、極限まで現れた兵器である。

10代の若者たちが命を捧げる原始的な装備で、敵船を襲う特攻作戦。

しかし、ただ残酷さだけがあるわけではない。

彼らの胸には、国と家族を守るという強い決意と愛があった。

彼らの瞳には、未知の恐怖と同時に、未来への希望が映っていた。

それは、人間が持つ驚くべき勇気と決意の証だ。

だが同時に、これほどまでの犠牲を払わせる戦争の恐ろしさ、絶望的な現実をも改めて認識せざるを得ない。

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