原子爆弾リトルボーイとファットマンの違い仕組み。広島、長崎の次の都市は〇〇だった。
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これは、1945年8月に長崎に投下された原子爆弾の実際の映像である。

今回、謎に迫るのは、広島に落とされたリトルボーイ、長崎のファットマンに続く、第三の原子爆弾が実在したか否かだ。

その真相は歴史の闇に包まれているが、1945年8月15日、日本が無条件降伏を選ばなければ、第三の原子爆弾が発射される道筋が整ってとされている。

東京、京都、小倉などが候補地として浮上していたのは確かな事実なのだ。

今回は、世界で初めて使用された原子爆弾リトルボーイとファットマンの違い、また3発目の候補に選ばれた都市について解説していこう。

しまかぜ

この内容は動画でも見れるよ!

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リトルボーイとファットマンの違い なぜ2種類作ったのか?

核兵器とは何か?

それは、核分裂の連鎖反応を利用して、爆風、熱放射、放射線などを破壊力に変換する武器のことを指す。

現在、我々の地球上には約1万7000発の核兵器が存在すると推計されている。

原子爆弾の生みの親は、アメリカ合衆国の理論物理学者ロバート・オッペンハイマーだ。

アインシュタインが原爆を作ったと誤解されることがあるが、彼が果たしたのは原爆の破壊力を計算できる方程式の導出であり、開発そのものには関与していない。

アメリカが原子爆弾を完成させた目的は、戦後世界における自国の主導権を確立することだった。

1945年7月16日、最初の原子爆弾がニューメキシコ州アラモゴードの砂漠でテストされ、続く二発が広島と長崎へと投下された。

核爆弾の世界について語るとき、”リトルボーイ”と”ファットマン”という二つの名前が避けて通れない。

広島に投下された原子爆弾は、ウランを用いたもので、長さ3メートル、直径0.7メートル重さ4トンと細長く小型だったため「ちび」という意味の「リトルボーイ」と呼ばれていた。

一方、長崎に投下された原子爆弾はプルトニウムを用いており、長さ3.5メートル、直径1.5メートル、重さ4.5トン、その形状から「ふとっちょ」という意味の「ファットマン」と名付けられた。

これらが形状が異なる理由は、それぞれの原爆の構造が全く違うからなのだ。

広島型原爆は、核分裂しやすいウラン235を使用し、細長い筒の両端に必要量のウランを設置。

一方のウランに爆薬を仕掛けることで、ぶつかった瞬間に核分裂が始まり、膨大なエネルギーを発生させる。

一方、長崎型原爆は爆弾の中心部にプルトニウム239を置き、周囲に爆薬を均等に配置。

これにより一気に全方向からプルトニウムに圧力をかけ、連鎖反応を起こす爆弾となる。

これらは史上初めて使用された核爆弾で、その威力と結果は世界に衝撃を与えた。

だが、これら二つの爆弾の中で、どちらが真の力を持つのだろうか?

「ファットマン」は、それ自体がとてつもない破壊力を持つと認識されている。

「リトルボーイ」の約80倍の力を持つと言われているこの爆弾は、なんと120万トンのTNTに匹敵すると報じられている。

それはつまり、約21キロトンの爆発力があるということだ。

たった1kgのTNTが、大体木造住宅を全壊させる程度の力を持つと考えると、この数値の衝撃的な大きさが理解できるだろう。

日本の平和を破壊し、数多くの命を奪ったこの力は、言葉で表現することすら難しい。

そして、そんな原爆を凌駕する核兵器「ツァーリボンバ」をロシアが開発している。

単一兵器としての威力は人類史上最大であり、広島型原爆の3300倍に相当する。

「ツァーリボンバ」については、ほかの動画で詳しく解説しているのでそちらをご覧いただきたい。

なぜアメリカは同時に二種類の原爆を開発したのだろうか?

ウラン型原爆に必要な「ウラン235」は自然界にはほんの微量しか存在しない一方、プルトニウムは原子炉さえあれば無限に生成できるとわかったからだ。

つまり、自力で原爆を大量生産する道筋が見えたのだ。

原爆開発の発端は1938年、ドイツの物理学者がウランの核分裂現象を発見したことだ。

この革新的な発見は瞬く間に世界中の科学者たちに知られ、不安な国際情勢の中で新兵器開発に繋がった。

1941年、英国の原爆構想がアメリカに伝わると、ルーズベルト大統領は原爆の開発を指示した。

ただし、この段階ではウラン型原爆が主に想定されていた。

その後1942年に始まった「マンハッタン計画」の中で、プルトニウムの核分裂が実現可能になり、プルトニウム型原爆の開発が優先された。

元々、原爆は日本への使用を想定して開発されたものではなかった。

ナチス・ドイツによる原爆開発を恐れたアインシュタイン博士らがルーズベルト大統領に研究を進言し、1942年に開発計画が承認された。

しかし、原爆が完成する前にドイツが降伏。

その結果、その恐怖は日本に向けられることになったのだ。

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米国は第3の原爆投下を計画 狙われた都市は?

長崎への投下から日本が降伏するまでの6日間、米国は原子爆弾の投下が終わったとは思っていなかった。

長崎に原子爆弾が投下されてから、日本が降伏するまでの一週間弱の間に、彼らはすでに次の原爆投下に向けて準備を進めていた。

戦争が二度の原爆投下だけで終息するとは、米国政府の思考の中にはなかった。

第二次世界大戦が終盤に差し掛かったとき、米国は可能な限り多くの原子爆弾を生産しており、日本が降伏する直前まで、その第三弾の投下を決行しようとしていたのだ。

1945年8月15日、日本が降伏を決断する数時間前、その時、英国の外交官の前で、トルーマン大統領は厳しい表情で言った。

「第三の原爆投下を命じる以外の道はない」。

これが、彼の言葉だった。

では、米国がなぜ二度にわたって原爆を投下したのか?

広島と長崎への原爆投下は、戦争を早期終結させることが一つの理由だったが、それだけではない。

「原子爆弾の力を試す」ため、そして「戦後の世界を米国が主導する」という意図を示すためでもあった。

原爆投下の第三のターゲットとして選ばれる都市の条件は、「都市部が広範にわたり、目標自体が直径3マイル(4.8キロ)以上で、東京と長崎の間に位置し、戦略的価値が高い」という基準だった。

この基準に合致した都市は以下の17カ所だ。

第3の原爆投下都市候補

東京湾、川崎市、横浜市、名古屋市、大阪市

神戸市、京都市、広島市、呉市、八幡市

小倉市、下関市、山口市、熊本市、福岡市

長崎市、佐世保市

特に京都は、大都市でありながらまだ空襲を受けていなかったため、最も可能性が高いと見なされた。

5月末に空襲を受けた横浜市は、候補地から除外された。

ヘンリー・スティムソン陸軍長官は、戦略的な理由と感情的な理由から、日本の古都を保護するべきだと判断したことから、京都市もすぐにリストから外され、空襲や原爆を含め一切の攻撃が禁止された。

しかしながら、最終会合でリストが修正され、これらの都市の中から、最終的に京都市、広島市、横浜市、小倉市、新潟市が有力候補に挙げられた。

1945年8月15日、日本は無条件降伏を発表し、第二次世界大戦は終わりを告げた。これにより、アメリカはもはや原爆を使用する必要がなくなった

1955年、アルベルト・アインシュタインがこの世を去ったとき、追悼会で、アインシュタインが打ち明けた後悔について発表された。

「私の最大の過ちは、ルーズベルト大統領に原子爆弾の製造を勧める手紙に署名したことだ」と。

次の動画では、ロシアが開発した史上最強の核兵器「ツァーリボンバ」について解説しよう。

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