世界の戦艦ベスト5!最強を目指して建造された戦艦がなくなった理由
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世界の海軍には、さまざまな艦艇の種類があるが、その中の1つが戦艦である。

当時、戦艦を保有することは,その国の国力の象徴であり、現代でいう戦略核兵器のような影響力をもっていた。

戦艦とは砲撃で敵を攻撃することを目的に建造された軍艦のことで、大型で強力な艦砲を持っているのが特徴だ。

また、海上での戦闘を行っていく中で、攻撃に耐える必要もあるため、他の軍艦と比べても強力な装甲を持っているのも特徴の1つである。

戦艦が海軍の主力艦として活躍していたのは19世紀末から20世紀半ばあたりまでである。

しかし、第二次世界大戦以降は戦闘機の登場により、海上戦よりも空中戦が有利となっていった。

そのため、航空戦力が優位になり、戦艦はその存在意義がほとんどなくなり、現在戦艦を保有し運用している国はない。

今回は、大日本帝国海軍の戦艦大和をはじめ、アメリカのアイオワ級やドイツのビスマルク級など世界の戦艦についてその特徴や戦歴について解説していこう。

しまかぜ

世界の戦艦の迫力ある貴重な動画もあるので、最後まで見てね!

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大日本帝国海軍 大和

日本は金剛型、長門型、扶桑型など数多くの戦艦を保有していたが、一般的には「大和」が有名だろう。

正確に言うと、大和とは大和型戦艦の1番艦で、2番艦にあたるのが武蔵である。

また、大和は武蔵と共に史上最大の46センチ砲を搭載した超弩級戦艦で、その記録はいまだに世界一を誇っている。

大和の建造は極秘裏に進められ、秘匿のため主砲は「94式40cm砲」と呼ばれていた。

大和は広島・呉の海軍工廠で建造され、太平洋戦争が開戦して、すぐの1941年12月16日に就役した。

翌年2月には連合艦隊の旗艦になり、4か月後のミッドウェー海戦が大和の初陣となる。

その後、大和の運用で得たデータを元に2番艦である「武蔵」の改修が行われ、武蔵に連合艦隊の旗艦任務を移譲した。

その後、輸送作戦に参加するが、アメリカの潜水艦から攻撃を受けたためドックに入り修理を受けることになる。

修理後は渾作戦(こんさくせん)、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参加するが、1945年4月7日に沖縄方面航空作戦で出撃中にアメリカ軍から猛攻を受ける。

航空機による魚雷攻撃を左舷に集中的に受け、坊ノ岬沖で撃沈されてしまった。

大和を始めとする大和型戦艦は日本で最後に建造された戦艦である。

元々は4番艦まで計画されたが、戦局の変化や悪化を受け3番艦の信濃は航空母艦として設計変更され、4番艦は計画が中止になってしまった。

大和の主砲は45口径46cm3連装砲塔が前甲板に2基、後甲板に1基搭載しており、合計9門の主砲を備えていた。

海外の情報の精査や海軍の要求をふまえて、さまざまな案が考えられ最終的に多くの人が知るあの形になった。

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アメリカ海軍 アイオワ

アメリカ海軍も過去に戦艦を複数保有していたが、その中で一番有名な戦艦がアイオワである。

アイオワ級戦艦のネームシップにあたり、他にアイオワ級戦艦はニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシンの合計4隻が建造された。

アイオワ級戦艦は当時の軍縮条約から脱退した大日本帝国に対抗するために計画され、排水量45,000トンで最大速力が33ノットの高速戦艦として設計された。

空母と行動できる速力は大和型にはない性能として評価されていた。

アイオワの主砲は16インチ50口径砲Mk.7を搭載している。

16インチ50口径砲Mk.7は、16インチ45口径砲Mk.6をベースに設計されており、使用する弾は同じものではあるが、装薬を低圧装薬へと変更しているため威力が強くなっている。

アイオワは第二次世界大戦の中盤である1943年2月22日に就役し、第二次世界大戦では主に第7艦隊の旗艦として太平洋海域での戦闘に参加した。

日本軍と幾度となく交戦することになるが、撃沈されることなく終戦を迎え、1949年3月にアイオワは予備役となった。

しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発するとアイオワは再就役し、国連軍の支援として砲撃射撃を行って地上で戦っている部隊の後方支援を行った。

そして、1958年に再び予備役となるが、レーガン政権の方針によって三度目の就役を果たすことになる。

その後、1989年に二番砲塔内で爆発事故が発生し、再び予備役となり2006年まで万が一の時に備え再就役できるよう保管が続けられた。

3番艦のミズーリは改修により、戦艦にも関わらず、現代の兵器であるトマホーク巡航ミサイル、対艦ミサイル「ハープーン」、近接防御システムCIWSを搭載し、湾岸戦争では28発のトマホークをイラクに発射した。

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ドイツ海軍 ビスマルク

第二次世界大戦では枢軸国として戦っていたドイツだが、当時のドイツ軍が保有していた戦艦の中でも有名なのがビスマルクである。

ビスマルク級戦艦のネームシップであり、鉄血宰相という異名を持つオットー・フォン・ビスマルクから名前をとっている。

ビスマルク級戦艦は他に、ティルビッツが建造された。

ビスマルクに搭載されている主砲はSK C/34型 38cm砲が採用され、一部の作業を除き、砲弾の装填を始めとするほとんどの作業が電力で行われていた。

ビスマルクは1936年7月に建造が始まり、1940年8月に就役した。

就役当時は敵対国であったイギリスなどから恐れられており、かなりの抑止力を持っていた。

就役後、イギリスの補給ラインを断つことを目的としたライン演習作戦に参加する。

その流れでデンマーク海峡海戦にもビスマルクは参加し、イギリス海軍と戦った。

その際、ビスマルクは損傷を受けたが、イギリス海軍の巡洋戦艦のフッドの撃沈に成功した。

フッドを撃沈されたイギリス海軍はビスマルクへ復讐心を燃やし、ビスマルクの迎撃を計画する。

その後、ビスマルクはイギリス海軍の攻撃を受け撃沈され海に沈むことになる。

ビスマルクの撃沈は当時のドイツ海軍にとって大きな痛手となり、戦局的にかなり振りになってしまった。

イギリス海軍 キング・ジョージ5世

第二次世界大戦では連合国側だったイギリスで有名だった戦艦の1つがキング・ジョージ5世だ。

キング・ジョージ5世は20世紀前半に在位していた国王の名から来ており、1912年の初代と1940年の2台目として就役しているのも特徴である。

1912年に就役したキング・ジョージ5世は1912年型 Mark V34.3cm砲を搭載しており、毎分1.5発程度の砲撃が可能であった。

第一次世界大戦のユトランド沖海戦に参加し、1926年12月に除籍されるまで練習艦任務に就くこともあった。

初代の退役後、新たな戦艦の建造が計画され、そこで建造されたのが2代目のキング・ジョージ5世である。

2代目の主砲には条約に則り、1922年型 Mark 7 35.6cm砲を採用した。

また、2代目は四連装砲塔2基と連装砲塔1基を装備する非常に珍しい形であるのも特徴の1つである。

火力は他の国の戦艦よりも劣るものの、装甲はかなり厚く設計され、防御力重視の戦艦であった。

2代目キング・ジョージ5世はビスマルク追撃作戦をはじめ、日本本土の艦砲射撃も行った。

終戦後はしばらく運用されたが、1949年に退役し1957年に除籍後スクラップにされた。

イタリア海軍 リットリオ

第二次世界大戦ではドイツとともに枢軸国として戦っていたイタリアだが、イタリアで有名な戦艦の1つがリットリオである。

リットリオはヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の2番艦で、大戦が始まって間もない1940年5月に就役した。

リットリオを含むヴィットリオ・ヴェネト級戦艦は1930年代にフランスに対抗することを考え開発されたのが戦艦である。

リットリオにはOTO社が新たに設計したOTO1934年型 38.1cm砲が主砲として採用され、885kgの砲弾を44km先まで届かせる性能を持っていた。

実際には射程28,000mで380mm、射程18,000mで510mmの装甲を貫通可能な性能であったとされている。

リットリオは就役後、MB3作戦を行うイギリス海軍を迎撃するために出撃するが、戦闘は一切発生することはなかった。

その後、イギリス軍によるタラント空襲で魚雷が命中し、約5か月間の修理を行った。

修理後のリットリオはハルバード作戦やシルテ湾海戦に参加、1943年7月にはリットリオからイタリアに改名する。

しかし、改名と同時にムッソリーニが失脚し、新政権が発足すると連合国に降伏したため、改名後戦闘に参加することはほとんどなかった。

終戦後、アメリカへの賠償艦割り当てられたが、最終的にはラ・スペツィアにおいてスクラップにされた。

世界の戦艦 まとめ

現代には「戦艦」という艦種は存在しない。

航空機による攻撃が優勢となってから、戦艦は空母へとシフトしている。

しかし、陸でも海でも戦闘を行った第一次世界大戦、第二次世界大戦では、さまざまな国が戦艦を建造し戦闘に投入してきた。

それぞれの国や設計時の戦況などによってその形は異なり、それぞれの違いを比べるのも楽しみ方の1つである。

また、各国が建造した有名な戦艦の多くは当時艦隊の旗艦として活躍したものが多く、当時、海軍において戦艦がどれほど重要な戦力だったのかがうかがい知れる。

また、大戦終了後は戦闘機を始めとする航空機の発達に伴って戦艦の役割は少なくなり、大戦を生き残った戦艦もほとんどがスクラップになってしまった。

しかし、それでも19世紀後半から20世紀前半にかけて戦艦が世界各国の海軍で活躍していたことに変わりはない。

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