【高度27000m】成層圏の偵察機U-2 極秘任務の全貌と迎撃事件の真相
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2024年4月4日、56年間もの長きにわたって活躍してきた伝説的な高高度偵察機U-2「ドラゴンレディ」が、世界中の航空機を追跡できるサイト「フライトレーダー24」で確認された。

この往年の偵察機が、高度約1万8288mという驚異的な高さで飛行している姿が捉えられた。

その舞台はなんと日本上空だった。

なぜこの地でこの偵察機が目撃されたのか?

偵察衛星がない時代、高高度偵察機U-2はどのような極秘作戦に従事したのだろうか?

今回はU-2の開発秘話から極秘任務、そして迎撃されて捕虜になったパイロットについて解説しよう。

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世界一操縦が難しい偵察機U-2 高度27000m成層圏でのミッション

U-2は1950年代にCIAの資金提供により開発され、1955年8月に初飛行を遂げた。

ソ連の迎撃機が追いつけない高度での偵察を可能にするため、冷戦時代の緊迫した国際情勢の中、この機体は当初、CIAと米空軍によって運用されていたが、その後は空軍のみの運用に移行した。

U-2の開発目的は、冷戦期のソ連領内の極秘情報を収集することにあり、その高高度性能は敵の防空網をかいくぐり、地上約500~600kmの低軌道に位置する偵察衛星とは異なり、より詳細で高解像度の情報を収集することが可能であった。

この能力により、アメリカは敵対国の動向を探る有力な手段を手に入れ、国の安全保障に大きく寄与した。

(F-104)

外見は双発機に見えるが、実際にはF-104の設計を踏襲した単発機であり、写真撮影はおよそ25000~27000mの高さから行われる。

この飛行機の操縦難易度は非常に高く、「世界一操縦が難しい航空機」とも評される。

この機体を飛ばせるパイロット資格を得た者は1955年の初飛行以来、わずかしかいない。

その理由の一端は、高高度飛行のため機体が超軽量化されていることにある。

降着装置は胴体の前後にしか設けられておらず、離陸時には地面から離れる際に外れる補助輪を使って滑走する。

高高度での偵察任務中も、機体が脆弱なため、速度を上げすぎると自壊する危険が伴い、失速ギリギリの速度で上昇を続けなければならない。

U-2の高高度飛行時の最高速度と失速速度との差はわずか18kmしかない。

https://youtu.be/DHZnyO2evps

着陸は更に難題で、長いノーズのためにパイロットの視界が遮られ、30mもある翼端が地面に触れないよう、支援車両が滑走路を走りながらパイロットに姿勢の修正を無線で指示するという精密なサポートが必要であり、その操縦の難しさは他の追随を許さない。

また、U-2を空母で運用する実験も行われてきた。

具体的には、1960年代に行われたこの実験では、空母レンジャーでの発着艦が試みられた。

この実験は、U-2の運用範囲をさらに広げるためのものであったが、空母への着艦は非常に難しく、成功したものの通常の運用では実現されていない。

U-2偵察機のパイロットは、成層圏を12時間に渡って飛行するという過酷な任務をこなすために、宇宙飛行士と同様の与圧スーツを着用し、宇宙食に似たチューブ食を摂取し、さらには排泄もチューブを使うという特異な環境下での操作を強いられる。

このような特殊な装備は、地上から約20キロメートル以上の高さで、人間の生存が困難な成層圏での活動を可能にしている。

U-2「ドラゴンレディ」は、その高高度性能を活かし、旧ソ連や中国、北朝鮮といった共産圏の国々の上空を侵犯し、極めて貴重な撮影データを収集していた。

これらの国々にとって、U-2は重要な国家機密を盗撮する邪魔な存在であり、その活動を阻止するために常に防空体制を強化し、撃墜を試みていた。

SR-71ブラックバードが退役した今でも、U-2はその偵察装備を最新の技術で更新し続け、湾岸諸国やボスニアなどの情報収集に活躍している。

これにより、現代においてもU-2は、グローバルな安全保障環境において重要な役割を担い続けているのである。

アメリカ空軍、CIA、NASAが共同でU-2のテストに取り組んでいた当時、同機のような超高度まで上がる航空機は他に存在していなかった。

U-2はテスト機時代に無塗装のアルミボディを持ち、その表面が太陽光を強く反射するため、しばしばUFOと誤認されることがあった。

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ソ連 U-2撃墜で捕虜確保!アメリカのスパイ活動の全貌

U-2の驚異的な高高度飛行能力は当時の要撃戦闘機の届かない高さを飛ぶことが可能であった。

成層圏、約25,000メートルの高度を飛行するU-2に対して、ソ連はMiG戦闘機などで何度も迎撃を試みたが、その高度に達することができず、実質的に撃墜は不可能であった。

しかし、技術の進展により、地対空ミサイルが発達すると、撃墜が可能になった。

実際に共産圏の地対空ミサイルにより、いくつかのU-2撃墜事件が発生し、これらは国際的な緊張を引き起こす大きな原因となった。

これらの撃墜事件は、冷戦の緊迫した国際関係において重要な転換点となり、東西の対立を一層深めた。

また、冷戦時代の高リスクな偵察任務を遂行する際、U-2の搭乗員には自殺用の青酸カリが配布されていたという事実は、その任務の極端な危険性を物語っている。

これは、捕虜になることを避けるための最後の手段として用意されたもので、冷戦の影で行われていたスパイ活動の厳しい現実を示している。

1960年のメーデー、ソビエト連邦のウラル山脈上空で行われたU-2偵察機の飛行がソ連軍によって撃墜されるという事件が発生し、これが国際的な緊張を高める大事件となった。

当時、U-2はアメリカがソ連内の軍事基地などを秘密裏に偵察していたことを示す証拠として、世界中にその実態が露見することとなる。

この事件により、直後に予定されていたパリでの米ソ首脳会談が中止されるなど、冷戦時の東西関係において重大な影響を与えた。

パイロットのフランシス・ゲーリー・パワーズは、撃墜された際に奇跡的にパラシュートで脱出し、生存するも、ソ連に捕らえられてしまう。

彼は自殺用の硬貨に内蔵された毒薬を所持していたが、これを使用せずに生き延び、公開裁判でスパイ行為を行っていたことを自白した。

アメリカ政府は当初、「高高度で気象データを収集していた民間機が与圧設備の故障で操縦不能に陥った」と主張していたが、パワーズの自白や撮影されたソ連軍基地の写真などの証拠が公表されたことで、アメリカはスパイ飛行の事実を認めざるを得なくなった。

アイゼンハワー大統領は、偵察行為は「ソビエトによる先制攻撃を防ぐために必要不可欠である」と正当化し、「パールハーバーの再来を避けるため」という言葉でその必要性を強調した。

パワーズはスパイ容疑で有罪とされ、シベリアの刑務所での10年間の禁錮を宣告されたが、2年後の1962年ソビエト側のスパイ、ルドルフアベルとの身柄交換によって解放された。

この交換劇は後に『ブリッジ・オブ・スパイ』として映画化され、より多くの人々に知られるようになった。

この一連の事件は、冷戦期の諜報戦が如何に緊迫したものであったかを示すエピソードとして、今も語り継がれている。

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ソ連のS-75ミサイルがU-2を撃墜!機体の弱点を暴露

U-2「ドラゴンレディ」の設計における極端な軽量化は、その耐久性の弱点をもたらした。

1960年、ソ連軍が放ったS-75地対空ミサイルの爆風だけで、機体外壁が薄いためU-2は破壊され墜落した。

この事件では、ミサイルが直接機体に命中しなくても、周囲の爆発による衝撃波で致命的なダメージを受けるというU-2の脆弱性が露呈した。

撃墜されたU-2の破片は数百キロメートルに渡って散乱し、これをソビエト軍が集め、詳細な技術分析を行った。

その結果、フルシチョフはU-2のコピー機の開発を指示し、1961年には試作機が完成したが、重量問題から高高度飛行が困難であり、結局翌年に開発が中止された。

一方、U-2は非常に高度な軍事機密を持つ航空機であり、通常は他国に供与されないが、例外的に中華民国空軍 (現台湾)に提供された。

これは中華人民共和国への偵察任務を目的としており、その任務はアメリカ軍のそれに匹敵する危険性を孕んでいた。

中華民国空軍のU-2は頻繁に中華人民共和国領空を侵犯し、何機かは撃墜された。

これらのスパイ飛行については、アメリカや中華民国側は公式には沈黙を守っているが、中華人民共和国は撃墜されたU-2の残骸を、北京の軍事博物館で展示し、公開している。

この展示は、偵察機の撃墜という軍事的勝利を示すとともに、技術的な側面から見た興味深い点を一般に示している。

U-2偵察機は、その飛行歴の中で数々の重要なミッションを果たしてきた。

中でも1962年のキューバ危機は、この機体がソ連による核ミサイル基地の建設を発見し、アメリカとソ連との間で核戦争寸前の緊張が高まった事例である。

U-2が捉えた写真は非常に詳細で、アメリカの分析チームはその画像からミサイルの型式まで特定することができたほどだ。

さらに最近では、中国の偵察気球がアメリカ上空を飛行した事件があり、このときもU-2が重要な役割を果たした。

高解像度で撮影された写真が、中国が主張する気象研究という説明を否定し、実際には情報収集活動であるとアメリカが断定する証拠となったのだ。

U-2からの画像には、偵察機の影が気球に映り込み、その搭載している装置を明確に捉えていた。

U-2は、敵地に深く侵入することなく情報を収集できるようになり、進化する地対空ミサイルや戦闘機の脅威にも対応してきた。

この適応力がU-2の長い活躍期間を可能にしている。

現代では、さまざまな戦場でセンサーや兵器がネットワーク化されており、U-2のような偵察機の進化した能力はそれらと連携するために不可欠である。

このため、米空軍は「U-2S」という改良型に多額の投資をしており、他の偵察手段が発達する中でも、21世紀に入ってもU-2は現役のままである。

U-2偵察機によるロシア領空への侵入飛行が中止された後も、アメリカは他の敵対国に対して高高度での偵察活動を継続している。

ロシア以外にも中華人民共和国や北朝鮮といった国々に対しては、領空を侵犯する形でのスパイ飛行が行われていた。

これらの経験がアメリカ軍に一つの転機をもたらし、後に偵察衛星の開発に本格的に着手するきっかけとなったのだ。

次の動画では、世界最速の偵察機「SR-71ブラックバード」の記録が破られない理由と機体の秘密について解説しよう。

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