紫電改と零戦の性能比較!米軍に恐れられたエースパイロットの戦術

「戦争映画」は、ただ国同士が争う映画ではない。

迫力ある戦闘シーンだけでなく、涙なしには語れない数々の人間ドラマがある。

数ある戦争映画の中でも、今回は実話を元にしたエピソードのみを厳選して紹介する。

一度は見ておきたい実話の戦争映画5選!

第二次大戦における日本の代表的な戦闘機としては、零式艦上戦闘機いわゆる「零戦」が、挙げられる。

開戦当初は、無敵の強さを誇った零戦であったが、戦争後半になると米軍のグラマF6Fヘルキャットや、チャンスボートF4Uコルセアなどの新鋭機の登場により、その優位性は揺らぎ始め、苦戦を強いられるようになってきた。

紫電改は、続々と登場する敵の新鋭機を相手に苦戦を強いられていた零戦の後継機として日本海軍が送り出した高性能戦闘機である。

その性能は、米軍の新鋭機に対しても充分互角に戦える能力を持っており、終戦間際ではあったが、米軍に対して果敢に戦いを挑み一矢を報いることとなった。

今回は、この戦闘機「紫電改」の開発の経緯、零銭との性能の違い、そして紫電改の戦果について解説していこう。

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紫電改が開発された理由

紫電改は太平洋戦争中、大日本帝国軍によって運用された局地戦に特化した戦闘機である。

故障が多かった伸縮性の主脚を標準仕様に変更して胴体断面も細かく垂直尾翼の形状を変えるなど空力的合理性を創意工夫し1944年1月に完成。

紫電改が開発された理由としては、開戦当初から使用されていた零戦やオリジナル機体の紫電の性能向上が、ほぼ限界に達しており、後継機の登場が急がれていたことだ。

零戦が搭載しているエンジンの馬力は千馬力を少し超えた程度のもので

「このエンジンで最大速度500キロ以上、約4000キロにも及ぶ航続距離を持ち、格闘戦にも優れ、さらには20ミリ機銃を搭載できる重武装の戦闘機を作れ」

という、現実的には不可能に近い軍の要求に答えた戦闘機である。

これらの要求を叶えるために取られた方法は「機体の軽量化」しかなかった。

そのため零戦の機体内部は、いたるところに丸型の穴が開けられており、防弾装備は皆無で 、高速で急降下すれば機体が分解する恐れがあった。

つまり零戦は、低馬力のエンジンを持ちながら、高性能を実現するために、機体を軽量化させ、機体強度や防弾装備を犠牲にした戦闘機であったといえる。

そのため、それ以上の性能向上は、機体構造上、難しかったという事実がある。

本来の零戦の正式な後継機としては、「烈風」(れっぷう)と呼ばれる戦闘機の研究開発が行われていたが、こちらは開発が困難となり、8機の試作機が完成しただけで終戦を迎えている。

そのため 一刻も早い後継機の誕生が望まれていた。

紫電改は水上戦闘機強風(きょうふう)が母体となっている。

その後、強風を陸上機に改造した紫電という戦闘機が開発された。

紫電の空戦性能は良好であったが、中翼と呼ばれる主翼を胴体の真ん中あたりに取りつける形式であったため、主脚が長くなり、故障に悩まされた。

また、視界が悪く、速度不足などの問題もあり、これらを解決する手段として低翼と呼ばれる主翼が胴体下部につけられる方式に改めたところ性能が大幅に向上し、名機「紫電改」が 誕生するのである。

海軍もその進化に満足したことで、さらに量産されることになる。

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紫電改と零戦の違い

紫電改と零戦の違いを見ていこう。

紫電改のエンジンの馬力は、1990 馬力とほぼ2000馬力級である。

これは米軍のヘルキャットやコルセアなどの戦闘機と、ほぼ同等の馬力である。

これに対して零戦のエンジンの馬力は、52型で1130馬力である。

型式の番号の見方としては、前の番号が機体が改良された回数、ただし4番は縁起が悪いため省略されている。

そして後ろの番号がエンジンが改良された回数 である。

つまり零戦は、誕生してから戦争中、エンジンの改修は1度しか行われずに、大戦を戦い抜いたということになる。

速度としては紫電改は最大速度594㎞、これに対し零戦は52型で565㎞である。

航続距離については 零戦は約4000㎞に対して紫電改は約3000㎞である。

武装は主翼内に20ミリ機銃4丁、胴体内に7.7ミリ機銃2丁の強力な火力、強固な防弾性能を誇る。

防弾装備が強固な米軍機に対しては7.7ミリ機銃で撃墜することは困難であるため20ミリ機銃が増やされたものと思われる。

零戦は、機体重量が極めて軽く、運動性は良好で格闘戦においては無敵の強さを誇っていた。

これに対して紫電改はエンジンが大型化したこともあり、機体重量が零戦より1200キロほど 重くなった機体に対し、自動空戦フラップと呼ばれる装置を取り付けることにより、良好な 運動性を確保できるようにしている。

自動空戦フラップとは、空中戦時に機体にかかる速度や機体荷重の感知を水銀柱によって行い、それにより翼のフラップを最適な角度に制御するというシステムである。

防弾装備に関しては零戦が皆無なのに対し、紫電改には、主翼や胴体内にある燃料タンクに対して防弾が施されており、自動消火装置も装備されていた。

そんな紫電改を操縦していたエースパイロット、菅野直(かんの なおし)の戦術はアメリカから恐れられた。

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紫電改のエースパイロット 「前上方背面垂直攻撃」

太平洋戦争も後半になると日本では、パイロットの多くが戦死しており、米軍とまともに渡り合える戦闘機や搭乗員が、ほとんどなくなってしまうという状況に陥っていた。

そんな戦局を打開すべく、残り少なくなった ベテランパイロットを、かき集めて紫電改による防空戦闘を行なうため、第343海軍航空隊、通称剣部隊(つるぎぶたい)が 編成され、空襲に来たB29や空母艦載機からの攻撃を迎え撃った。

343空の戦歴として、有名なものとしては四国方面の松山上空においてF6F、F4U戦闘機、それにヘルダイバー爆撃機などの米軍艦載機の攻撃を迎え撃ち、その内の45機を撃墜。

味方の被害は12機という記録がある。

この説は長らく信じられてきたが、米軍の戦闘詳報を確認してみると撃墜された米軍機は7機となっている。

その343 海軍航空隊の隊長に就任したのが菅野直(かんの なおし)である。

総撃墜数は個人撃墜48機、共同撃墜24機の計72機撃墜を誇る日本のエースパイロットである。

菅野は、破天荒な性格であり、飛行学生時代には射撃成績は優秀であったが、 着陸禁止になっている飛行場に着陸し、機体を大破させるなどして航空機を何機も破壊し たことから「菅野デストロイヤー」という、あだ名が付けられていた。

南方のパラオにおいて敵爆撃機の迎撃任務に当たっていた菅野は、対爆撃機攻撃法として敵爆撃機の前方約1000m上空から背面し、真上から攻撃をかけるという「前上方背面垂直攻撃」という戦法を考え出し、多くの敵爆撃機を撃墜する戦果を挙げた。

黄色のストライプ模様を描いていた菅野の操縦する紫電改は、米軍パイロットの間で「イエローファイター」呼ばれ恐れられた。

その菅野も、終戦のわずか二週間前の1945年8月1日、鹿児島県屋久島方面の上空での空中戦にて23歳の若さで戦死している。

靖国神社の遊就館には、今も菅野が愛用していた財布が展示されている。

紫電改からF-1戦闘機へ

第二次大戦中、欧米列強と、しのぎを削ってきた日本の戦闘機開発は、紫電改を最後にして幕を閉じた。

その後、三菱重工が戦後初の国産戦闘機であるF-1を開発し、その後継として現在F-2 戦闘機が配備されている。

しかしF-1は機体自体は国産だが、エンジンは外国製であり、F-2においては主翼部分のみ日本が設計したもので、本当の意味での国産戦闘機は、いまだに開発されていな状況である。

次期戦闘機として研究開発が行われているF-3は、国産のIHI社製の高出力エンジンを装備し、ミサイルを機体内部に格納するウェポンベイシステムも日本独自の技術で開発し、現時点で最強といわれている米軍のF-22を凌ぐ性能を目指している。

現在、中国をはじめとする日本周辺の各国との緊張が高まっている。

ウクライナ情勢を見ても分かるように、まずは自衛隊が戦わなければ、在日米軍がすぐに日本を助けてくれるという保証はない。

今、日本には国産戦闘機が必要なのである。

「戦争映画」は、ただ国同士が争う映画ではない。

迫力ある戦闘シーンだけでなく、涙なしには語れない数々の人間ドラマがある。

数ある戦争映画の中でも、今回は実話を元にしたエピソードのみを厳選して紹介する。

一度は見ておきたい実話の戦争映画5選!