沖縄が自衛隊を反対する本当の理由。訓練を妨害する活動家に頭を下げる自衛官

「戦争映画」は、ただ国同士が争う映画ではない。

迫力ある戦闘シーンだけでなく、涙なしには語れない数々の人間ドラマがある。

数ある戦争映画の中でも、今回は実話を元にしたエピソードのみを厳選して紹介する。

一度は見ておきたい実話の戦争映画5選!

沖縄には「自衛隊反対」という心理心情を抱いている人々少なからなずいる。

それは、単に自国防衛の手段として軍備力を有した部隊を配備する、という国家防衛の観点への反対ではない。

その反対感情は、第二次世界大戦の沖縄本土決戦にさかのぼる。

大戦も末期になり、激しく国力が衰退した旧日本軍において、沖縄本土や国民を守りながら、避難させながら戦闘を行う士気も意識も、軍備も持ってはいなかった。

そうした背景から、「旧日本軍は沖縄を見殺しにした」という感情と記憶から、自衛隊と日本軍を同一視している部分もあるだろう。

また、自衛隊を置けば沖縄は再び標的となり、あの忌まわしい戦争が繰り返されるのではないか、という心情にもあるはずである。

ここでは、沖縄の占領や本土復帰までの歴史、そして自衛隊の訓練を妨害する反対派の活動について解説していこう。

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沖縄本土復帰までの出来事

1945年3月26日、アメリカを中心とする連合国軍は、沖縄への上陸を開始。

同年の6月23日まで、沖縄本島を中心に激しい戦闘が繰り広げられた。

国力が極めて衰退していた日本軍は、自軍を防衛するだけで精一杯で、連合軍を沖縄内陸部に誘い込み長期戦を展開。

これは本土決戦への時間稼ぎという側面もあった。

1945年5月末には朱里司令部が陥落し、ほぼ壊滅状態となった。

放置されていた沖縄の人々は、この戦闘の犠牲となり、追い詰められ自決し、連合軍に捕えられた住民は収容所へと送られた。

終戦を迎えた段階で、すでにアメリカ軍の占領下にあった沖縄は、軍の諮問機関として沖縄諮詢会(しじゅんかい)を設置。

数年の時間が経過した1952年のサンフランシスコ平和条約では、日本は国家としての主権を回復するが、沖縄は引き続きアメリカ軍の占領統治下に置かれ、日本でありながら日本でない沖縄、戸籍や地籍もない沖縄が継続されていく。

琉球政府は司法行政立法といった権限を有してはいたものの、最終的にはアメリカ軍政府が権限を握っていたため、実質的には自治は成立してはいなかった。

長きにわたる国際的な交渉や貿易、防衛など様々な日米間の関係変遷の中で、沖縄は、1972年5月15日にようやく本土復帰を果たしたのだ。

しかし、そこまでの二十数年間に及ぶ抑圧された環境で、沖縄には日本への複雑な感情や想い、恨みや怒りにも似た感情が濃縮されたのではないかと思われる。

本土復帰を果たして、50年を経過した2022年現在でも、沖縄各地に駐屯する米軍、米軍基地問題、米兵が引き起こす問題、基地の騒音や訓練機墜落の問題がある。未だに解決できない問題が山のように残っている事実を考えれば、その感情を攻めることはできないだろう。

21世紀を迎えてもなお、沖縄がこのような状態にあることを、当時の沖縄の人々は想像もしなかったはずだ。

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自衛隊の訓練を妨害する反対派市民

「また沖縄が標的になり、忌まわしい戦争が繰り返される」という危惧や懸念という言葉では表しがたい感情が沖縄にはある。

そのような感情から、軍隊や軍事、軍備や自衛などに関わるものを根本的に受け入れることができない、という感情や思想があることは否定できない。

そうした感情は時として、自衛隊の訓練妨害などの形となって現れることもある。

2021年11月27日、沖縄の八重岳に向かう自衛隊通信隊の車列を左翼の集団が妨害する事件が起きた。

通信隊の通行を「枝が折れた」などの理由で妨害し、結果としてこの訓練は中止となったのだ

自衛隊員は「通してください」と頭を下げるも、左翼集団や反基地活動家らは耳を貸さず妨害。

出動した沖縄県警は、遠巻きにこの光景を傍観していたという。

本来は、国家を守り安全を確保するための自衛隊が、このような形で妨害を受けることは、沖縄でなければ明らかに異常な行為でもある。

しかしながら、先に記載したような沖縄の歴史から考えると、そうった感情や行為に及んでしまうほど鬱積した感情があるというのが事実である。

この感情は今に始まったものではない。沖縄本土で多くの民間人の血が流れ、命が失われた時点でその根源となる感情は生まれたはずである。

そして、戸籍すら持てなかった本土復帰までの間に、ある種、濃縮されて世代を超えて残ってきた。

沖縄が本土に復帰した三日後に、陸上自衛隊は沖縄移駐第一陣を派遣したが、那覇空港でフェンス越しに激しい抗議デモを受けている。

自衛隊員は、機動隊に警備され駐留地へと移動したが、抗議デモの影響で3か月間は外に出ることができなかったという。「自衛であろうとなかろうと自衛隊は軍隊であることに変わりない」、沖縄の人々の悲しく辛くまっずぐな感情が引き起こすこの行動は、自衛隊員個人の住居への入居妨害やタクシーの乗車拒否、子供や親族の成人式やスポーツ大会への参加拒否にまで発展した。

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なぜ沖縄県民は反自衛隊が多いのか?

沖縄には「反自衛隊」思想があることは明確である。

その根底には、旧日本軍が沖縄に対して、沖縄の人民に対して、何もできなかった経験がある。

「兵隊は自分たちのことだけを考えて沖縄を見殺しにした。お国のために、と教育し、奪うだけ奪っていった軍隊は、最後には私たちの住む土地や愛する同胞の命、我が子をも奪っていった」

そんな感情が根底にある。

この感情は、この経験をした沖縄の人にしか本質的には理解できない。

ゆえに、その感情が武器を持つ集団としての自衛隊に向けられてしまうことの本質も、その経験をした沖縄の人にしかわからない。

しかし、沖縄の人々がそれほどまでに過酷で苦しい、恐ろしい経験をしたことだけは事実なのだろう。

避難壕の中で、米軍におびえて息を殺した時間を、その中で仲間や家族を失った悲しみを、愛しい我が子のミルクに青酸を入れ自らの手で殺した苦しみを誰が正確に理解できようか。

そういった経験が、戦争につながるものすべてを受け入れることができない状態を作り上げたことも、また事実なのではないだろうか。

その経験と感情が、「旧日本軍と自衛隊の同一視」「反自衛隊」「反戦争」という感情や感覚、懸念や憎悪の根源になったのだろう。

また、沖縄本土決戦や米軍が統治してきた歴史の中から、米軍兵士が行ってきた行為が「軍隊=性犯罪」という認識を生み、同一視した自衛隊にも飛び火し、「自衛隊=性犯罪」という拡大解釈に至ったのではないだろうか。

沖縄における「反自衛隊」思想は、ある意味では、戦争や戦争がもたらした苦しみが生み出した、行き場のない感情の終着点だったのかもしれない、とすら感じてしまうのは考え過ぎだろうか。

旧日本軍と自衛隊の同一視

第二次世界大戦では、日本自体も世界的には憂き目にあったが、中でも最もつらく苦しい体験をしたのが沖縄だったのではないだろうか。

そうした事実と感情が複雑に絡みあって、そこに濃縮されてきた思想が「旧日本軍と自衛隊の同一視」「反自衛隊」「反戦争」という考えに至った思われる。

これは日本だけの問題ではなく、第二次世界大戦に参加したすべての国々が、戦争そのものがもたらす大きすぎる影響なのではないかと強く感じる。

第二次世界大戦が終わって2022年で77年、沖縄が本土に復帰して50年。

こういった沖縄の人々の感情は、戦争により負の感情を蓄積してきた人々の心は、時間だけしか解決できないのだろうか。

次の動画では、沖縄から近い尖閣諸島に米軍基地を建設しない理由と、もし中国に占領された場合の影響について解説しよう。

「戦争映画」は、ただ国同士が争う映画ではない。

迫力ある戦闘シーンだけでなく、涙なしには語れない数々の人間ドラマがある。

数ある戦争映画の中でも、今回は実話を元にしたエピソードのみを厳選して紹介する。

一度は見ておきたい実話の戦争映画5選!