もし日本が勝っていたら「恐ろしい国」に!戦争の敗因となった4つの戦いとは?
Amazonのオーディオブック 
12万タイトルの本を好きなだけお楽しみいただけます。

・本の1冊分の月額で聴き放題
・料金をメリットが上回る
・いつでも読書できる
・読書量が格段に増え、積読が解消される
・長時間の読書も目が疲れない
・聴くたびに学びを感じる

公式ページはこちらをクリック

日本が太平洋戦争において、本当に勝利の糸口が一切存在しなかったのだろうか?

無論、日本対アメリカという局面は、日本にとって非常に厳しい状況であった。

だが、本当にシナリオは一つだけだったと言えるのだろうか?

国力で日本を圧倒するアメリカとの戦争を、敗北は避けられないと知りながら始めたのだろうか?

戦争には「勝てば官軍」という言葉がある。

つまり、勝利者が正義を決め、その結果がその後の世界の姿を決定付けるものだ。

現在の日本は平和で文化的な生活を営んでいる。

それは敗北国であった日本が連合国の手により民主化され、戦後の歴史を築いてきたからだ。

今回は、日本が戦争に負けた4つの戦いと、もし日本が戦争に勝利していたら、その後の世界はどうなっていたかの考察をしたい。

スポンサードリンク

戦争の敗因となった4つの戦い

1941年12月8日、真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊へ、日本海軍の攻撃機350機が奇襲を仕掛け、これが太平洋戦争の火ぶたを切った瞬間だ。

この時点で、日本は敵国であるアメリカからの石油供給を大部分に依存しており、ストックが2年分しかなかった。

「敗北は避けられないが、戦争を始めるなら今しかない」との判断が下されたのだ。

そしてここに、日本の敗北に繋がった四つの要因が存在する。

①ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦は、ミッドウェー諸島に点在する米軍基地を狙った攻撃作戦で、その目的はアメリカの太平洋艦隊を打ち破ることだった。

しかし、米軍は約20%の暗号解読と大胆な予測により、日本の作戦を予測して待ち伏せを準備し、日本艦隊を壊滅させる戦略を立てた。

この決断が勝敗の鍵となり、日本は空母4隻や多数の航空機とパイロットを失う惨敗を喫した。

この結果、日本の敗北がますます確定的となった。

もし、米軍の情報解読が失敗していたら、日本軍がミッドウェーを制圧し、ロサンゼルスやサンフランシスコ、シアトルといった米国本土に爆撃が可能になったかもしれない。

つまり、ミッドウェイの敗北が、その後の日本の運命に深い影響を与えたのだ。

②ガダルカナル島の戦い

ガダルカナル島での戦闘は、1942年8月、太平洋南部で制海権と制空権を巡って日本と連合国が衝突した戦闘だ。

戦場となったのは、ソロモン諸島に位置するガダルカナル島である。

日本は先遣隊として900名の陸軍を派遣し、攻撃を開始した。

だが、10倍以上の戦力差によりわずか3日で全滅した。

アメリカ軍の兵士はなんと1万人以上もいたのだ。

その後も日本は援軍や物資をガダルカナル島へ送り続けたが、その時点で制空権は既に米軍の手中にあり、島への接近は困難を極めた。

悪路のジャングルで補給物資や重火器を運ぶことができず、戦況は悪化の一途をたどった。

最終的には増援を送るなどしたが戦局は好転せず、撤退までの間に戦死と餓死を合わせて約21,500名の兵士を失ったのである。

③レイテ沖海戦

当時、日本海軍は、アメリカやイギリスと肩を並べる「世界三大海軍」の一角であった。

フィリピン・レイテ島周辺にて、日本海軍と連合国海軍との間で行われた大規模な海戦が「レイテ沖海戦」である。

日本海軍は艦隊を三つに分け、連合国艦隊を引きつけて分断するとともに、陸上部隊に対する補給路を断つ作戦を立案した。

しかし、この作戦は多くの要素で不利であった。

日本海軍は既に物資や人員が枯渇しており、経験豊富なパイロットはほとんど残っていなかった。

連合軍と帝国海軍の戦力差

連合軍
航空母艦17隻、護衛空母18隻、戦艦12隻、重巡洋艦11隻
軽巡洋艦15隻、駆逐艦141隻、航空機約1000機
補助艦艇1500隻

帝国海軍
航空母艦4隻、戦艦9隻、重巡洋艦13隻、軽巡洋艦6隻
駆逐艦34隻、航空機約600機

一方、アメリカ海軍は物資も人員も十分で、特に航空優勢が決定的だった

海戦の最終日には日本の超大型戦艦「大和」も戦闘に参加し、アメリカ軍艦隊に対して突撃を試みたが、結果的にはアメリカ軍の攻撃で損傷

を受け撤退を余儀なくされた。

レイテ沖海戦は、空母を含む大艦隊同士が直接対決した最後の海戦であり、また史上最大の海戦とも言われたが帝国海軍は事実上壊滅した。

④インパール作戦

参加した日本兵の多くが命を落とし、「史上最悪の作戦」と揶揄されることとなったのが「インパール作戦」だ。

その作戦は、インドに駐留するイギリス軍を攻撃することだった。

インパールはイギリス軍の拠点であり、日本軍はそこを制圧すれば敵の戦力を大きく削減できると見ていた。

しかし、日本軍の作戦はイギリス軍に察知され、イギリス軍は国境近くの部隊を引き上げて待ち伏せの準備をした。

インパール作戦を指揮した佐藤師団長は、「このままでは自滅する」と無線を通じて伝え、自らの判断で撤退を決断した。

2000m級の険しい山岳地帯での苛酷な戦闘、重装備、雨季による激しい降雨、マラリアや赤痢のような感染症の拡大により、約10万人の兵力のうち戦死者が約3万人、負傷や病気で後送された者が約2万人、生き残った大半も傷病者となり、膨大な犠牲を伴ったのだ。

これらの戦闘の敗因は主に、情報の不足、現場の意見の軽視、曖昧な責任の所在が共通している。

もし、4つの戦いで勝利していたならば、その後の日本はのちに解説するような「恐ろしい国」になっていたのかもしれない。

日本軍がアメリカに敗北した理由として、国力差は最も大きい要因だったと考えられる。

だが、こうした組織上の欠点もまた、敗戦の一因となっていたのだ。

歴史的な視点から見ると、1945年8月の広島と長崎への原爆投下が終戦を迎えさせ、日本を新たな国へと変貌させたとされている。

原爆の投下については、米軍内部にも反対の意見が存在したが、自国の兵士の命を本土決戦で失うことを避け、さらには対立するソ連に対して軍事力を示すため、この行動が取られたと言われている。

しかし、戦争の終結を決定づけたのは原爆投下だけではなかった。

当時の日本は、ソ連を仲介者として戦争を話し合いによって終わらせようと努めていた。

しかしながら、1945年7月のソ連の参戦により、その可能性は消え去り、やむを得ずポツダム宣言を受け入れる結果となったのだ。

スポンサードリンク

日本が戦争に勝っていたら独裁国家に

 

原爆を初めて開発したのはドイツである。

そのため、ドイツが原爆を先に完成させ、それを使ってアメリカに壊滅的な打撃を与えることができれば、ドイツと共に戦争を制する可能性があったのだ。

アメリカを超えて原爆を開発し、ドイツと共に使用することで、アメリカやイギリス、ソ連の主要都市を破壊し、降伏に追い込めば、勝利の道筋が見えてくるだろう。

戦争の結果が違っていれば、日本の国民意識や価値観も変わっていたかもしれない。

それは戦後の日本の成長や、現在の日本社会の形成に大きな影響を与えていた可能性がある。

しかし、もし日本が戦争に勝っていたなら、現在も日本は、戦前と同じ体制が続いているかもしれない。

戦前の日本、つまり「大日本帝国」としての日本は、天皇を中心として外国を侵略し、領土を広げる「帝国」だったのだ。

国民は国や天皇に仕える奴隷のような存在だったと言える。

軍事独裁政権が続き、天皇を中心とした統制国家が継続されていれば、国民は全てを国に託し、天皇のしもべとなっていた可能性がある。

そして、国民には後に付与された基本的人権は存在しなかった。

現在、我々が享受している人権があるのは、戦勝国である連合国によって民主化された結果だ。

戦争に敗北したことで民主化され、国民主権が確立されたのが現在の日本だ。

それまでの日本は、国民は国の命じる通りに行動しなければならず、反逆すれば、逮捕されたり、殺されたりしていた。

日本は明治元年から終戦までの77年間で、6回もの戦争を経験している。

そのため、徴兵制の下で国民全員が兵役を果たす義務があった。

もし戦争に敗北していなかったら、中国大陸から撤退することもなく、国民は太平洋戦争に続いて中国大陸での戦費の重荷を背負うこととなり、市民生活は混乱し、文字通り奴隷のような生活を強いられていたかもしれない。

もし戦争に勝っていたら、今の平和な日本は存在せず、独裁体制の国が国民を支配する北朝鮮のような国になっていた可能性もある。

我々は常に勝利を望み、敗北を恐れるが、時には逆転の視点から事象を眺めることで新たな発見がある。

戦争での敗北が我々にもたらしたものは何だろうか?

それは教訓、反省、そして未来への望みだ。

だからこそ、戦争は負けてよかったのかもしれない。

Amazonのオーディオブック 
12万タイトルの本を好きなだけお楽しみいただけます。

・本の1冊分の月額で聴き放題
・料金をメリットが上回る
・いつでも読書できる
・読書量が格段に増え、積読が解消される
・長時間の読書も目が疲れない
・聴くたびに学びを感じる

公式ページはこちらをクリック