ペルシャ湾掃海艇派遣!仕掛けれた機雷を処分する命がけの任務
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世界でもトップクラスのレベルといわれる海上自衛隊の掃海部隊。

彼らの任務は海に仕掛けけられた爆発物を除去することである。

掃海艇は護衛艦のように大砲やミサイルがついているわけでもなく、見た目は決して派手で目立つ存在ではない。

しかし、1991年ペルシャ湾における機雷掃海では、日本を代表して、この小さな木造船と隊員が文字通り命を懸けて機雷除去をおこなったことは歴史に残る出来事である。

その実績から、海自の掃海部隊は世界トップクラスといわれるほど賞賛されている。

今回は海上自衛隊が世界に誇るペルシャ湾掃海部隊の航跡と危険な任務について解説していこう。

しまかぜ

ペルシャ湾で機雷処分を行った掃海艇の活躍や任務を動画でも解説してるよ!

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掃海艇とはどのような船か?

掃海艇は通常の艦艇のように鉄ではなく、木造やFRPといわれる強化プレスチックで船体が作られている。

掃海艇の主な任務は、海に仕掛けられた爆弾、いわゆる機雷を処分することであるが、なぜ、鉄製の頑丈な船体でなく、あえて木製やFRP素材の船体なのだろうか?

機雷とは、爆薬をつめた容器を海にまくことにより、船が接触したり近くを通ったりすると爆発して被害を与える兵器である。

機雷にはいろいろな種類があり、突起物に触れたら爆発する「触発機雷」を処分するならば、鉄製の掃海艇でも問題はない。

しかし、問題となるのが「磁気機雷」だ。

磁気機雷は、その名の通り、船体に帯びる磁気に反応する機雷で、鉄製の船が通過した時点で、周囲の磁場の乱れを検知して爆発する仕組みだ。

機雷を捜索したり、処分したりする場合、鉄製の船体だと爆発する危険性が高いため掃海艇の船体は木造かFRPで作られているのだ。

昭和27年に自衛隊が創設して、初となる実任務が湾岸戦争で使用された機雷を除去するために派遣されたペルシャ湾掃海任務である。

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湾岸戦争勃発ペルシャ湾掃海派遣部隊を派出せよ!

平成3年1月17日、イラクと多国籍軍による湾岸戦争が勃発した。

イラクはクエートを占領するために軍事攻撃を開始、約10時間で全土を占領し、多くの人質が拘束された。

そのため国連決議により40カ国にも及ぶ多国籍軍がイラクに攻撃を開始した。

この湾岸戦争でイラクは1200個もの機雷をペルシャ湾に敷設したのだ。

この機雷のせいで、付近を航行する船舶にとって重大な障害となったのは言うまでもない。

これに関連して、アメリカ政府は日本に対し何かしらの援助をするように申し出たが、本音は自衛隊を派遣させることが一番の要求であった。

しかし、日本政府はこれに応じず、1兆5000億という資金提供で援助を行ったのだ。

その結果、国際社会からは「金は出しても人は出さない。危険な任務は人任せ」など、非難の嵐だった。

日本は石油の80%を中東からの輸入に頼っており、さらに輸出入の99.7%が海上輸送である。

こうした状況を踏まえて、日本はペルシャ湾にまかれた機雷を撤去するために、掃海部隊を派遣することを決心したのだ。

当時の野党は「これは海外派遣などではなく、海外派兵だ!」と大反発する中、海上自衛隊の掃海母艦「はやせ」、補給艦「ときわ」掃海艇「あわしま」、「さくしま」、「ゆりしま」、「ひこしま」の計6隻 計511名の隊員が派遣されることが決定した。

それぞれの母港である、横須賀、呉、佐世保から集結し「ペルシャ湾掃海派遣部隊」として編成さた6隻はデモ隊の「海外派兵反対!」のコールの中、命をかけた航海に出発したのだ。

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「湾岸の夜明け作戦」Operation Gulf Dawn(オペレーション・ガルフ・ドーン)開始!

掃海艇は護衛艦と違い速力が遅く、燃料や水、食料が 7日程度しかもたないため、ペルシャ湾までは多くの寄港地によることになった。

また掃海艇は船体の磁気が機雷に反応しないように鉄ではなく木造でできているため、船自体が軽く小さいので海が荒れたときには、ものすごい揺れに耐えなければならない。

1ヶ月かけて7000 マイル(約13000キロ)の航海の末、5月27日にアラブ首長国連邦のドバイに到着。

多国籍軍の掃海部隊は9カ国40隻からなり、湾岸にもとの平和な夜明けが戻ることを願って共同作戦名はOperation Gulf Dawn「湾岸の夜明け作戦」と名づけられた。

掃海任務の朝は早い。

午前5時前から出港準備にとりかかり、日の出前から現場にて撮海作業を開始、日没まで14時間に及ぶ危険な作業が毎日続く。

しかも、ベルシャ湾の気候は日中40度を超えることもあり、高い湿度、砂漠の砂やイラクによる油田放火の熱風が隊員たちを苦しめた。

万が一機雷が爆発して沈没することを想定して、掃海作業中は掃海艇の船内に入ることは禁止されている。

つまり、隊員たちは休憩も待機もすべて甲板上の炎天下にさらされた状態なのだ。

また、諸外国の最新装備のように水中カメラを持っていない当時の掃海艇は、隊員が海に潜り、機雷に直接、爆弾を取り付けるという危険極まりない作業も行わなければならなかった。

隊員の中には若干19歳の入隊したての若者や、5月のゴールデンウイークに挙式を控えた20代の若者もいた。

もしかしたら

「生きて帰ることはできないかもしれない。」

「最初で最後の任務になるかもしれない。」

しかし、彼らは日本のため、平和のために任務を優先したのだ。

毎日14時間にも及ぶ掃海作業の後は、真水を十分に搭載できない掃海艇で隊員たちが、わずかな水で体を洗い、明日の作業に備えて準備を整えたあと、緊張と暑さで疲れきった体を横にした。

そのような状況で1ヶ月間、彼らは毎日命をかけて機雷との戦いを続けた。

極度の緊張とストレス、劣悪な作業環境の中、掃海部隊の隊員たちは一人の命を落すこともなく、また誰一人規律を破ることなく、任務を完遂したのだ。

アメリカ海軍をはじめ諸外国海軍からは、日本の掃海部隊の練度は非常に高く信頼がおけると賞賛された。

派遣前は日本に対し非難の嵐だったが、掃海部隊のおかげで国際社会の仲間入りができたのだ。

また、諸外国のように水中カメラやコンピューターなどの最新装備もない旧式の掃海部隊が、彼らと同等のレベルで任務が遂行できたのは、優秀な指揮官と日ごろから厳しい訓練を行っている連度の高い隊員たちのおかげであることは言うまでもない。

任務完遂!日本へ向けて出港

ペルシャ湾で命がけの掃海作戦を無事完遂した派遣部隊は9月23日ドバイを出港した。

現地の日本人たちからは「みなさんは日本人の誇りです。これで我々はやっと胸をはって街を歩けるようになりました。ありがとうございました。」と感謝された。

帰りの航海中には行き交うタンカーや商船から、たくさんのお礼のメッセージを受け取った。

「酷暑の中、機雷撤去という危険な任務を事故なく遂行され、世界の船、乗組員の命を守っていただき感謝します。」

そして、10月30日、188日間にも及ぶ長い任務を負え、母港に入港した。

入港の際、感謝の垂れ幕をつけたボートや岸壁では家族を含め多くの人が出迎えに来ていた。

そして、当時の総理大臣である海部総理、池田防衛庁長官、アル・シャリーク在日クエート大使から感謝の言葉を受けた。

海上自衛隊の掃海艇 まとめ

2021年現在までに自衛隊は数々の海外派遣を行っている。

現在もソマリア沖アデン湾での海賊対処やホルムズ海峡派遣など護衛艦がそれぞれ 1隻ずつ、約半年交代で派遣されている。

しかも、コロナ禍における任務のため、寄港地での上陸も全て制限され、食糧や燃料を補給するためだけに入港するという過酷な状況を半年もの間続けなければならない。

現在の世界情勢に鑑み、中国の進出、北朝鮮のミサイル発射、中東方面など、実任務が増えており、海上自衛隊の艦艇も常に派遣される状況となっている。

ペルシャ湾派遣部隊は海上自衛隊初の海外派遣となり、しかも補給能力の低い掃海艇で半年にも及ぶ期間、一人の人身被害もなく任務を果たすことができたのは、隊員たちの努力と持てる力をすべて発揮できた成果である。

国際社会から高い評価を得て、海自隊員たちが命をかけて任務を完遂したペルシャ湾派遣を忘れてはならない。

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